インターネットの功罪

インターネットという言葉を初めて耳にしたのは、1994年頃だったと思う。携帯電話もまだ一般的ではなく、ポケットベルを職場から支給されていた頃である。今のメール機能に近いものとして、ザウルスという通信機器を使っていた記憶もある。マッキントッシュやNECなどのファミリーコンピューターは普及していたが、通信機能はなかった。そのような中、インターネットという通信網が出現した。これにより世界は一変した。インターネットがない時代が懐かしく思える時がある。現代では個人情報が洩れると、様々な被害が発生しうるが、インターネット以前の時代では、個人情報を利用して悪事を行う手段は殆どなかった。電話帳に、住所や氏名が普通に掲載されていた、のどかな時代である。

インターネット時代においては、情報や話題を提供することだけで金銭的報酬を受け取ることも可能である。マスコミという言葉は残っているが、今や、個人が情報発信源となり、マスコミと同等の影響力を持つことも可能である。そこで情報の真贋を見極めることが重要になってくるが、これが非常に困難となってきている。本物の記者でさえ、現場に取材に行かず、ネットのみの情報で記事を書く者もいるらしい。

外国人に対する見方も、ネットの影響が大きい。日本では、嫌韓をあおる記事が多いが、日本で出会う韓国人は概して‘良い人‘である。また、‘日本のここがすごい‘という類の本が盛んに出版されるが、外国でそれほど日本のことは知られていないと聞いたことがある。正しい情報はネットではなかなか得られないような気がする。少なくとも、ネットの情報を鵜呑みにすることは非常に危ういことである。

インターネットを利用して、楽してお金を稼ぐというのは心情としては理解するが、賛成はしない。youtuberがなりたい職業の上位に来るのも理解できるが、賛同できない。そのような仕事で、自分を高めることが可能だろうか?私自身は、仕事とは、laborではなくoccupationが望ましいと思っている。どのような仕事でも誇りを持っていれば尊いものである。私の仕事場の委託業者の清掃員でも、自分の仕事に誇りをもち、プロ意識が感じられる人と、清掃作業を卑屈に思っているような雰囲気の人がいるが、一目で見分けがつく。-徒然なるままに-

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