日本では生真面目という言葉は、ネガティブなニュアンスを含まないことが多い。むしろ、控えめな好印象を与える。日本人の国民性を代表する言葉でもある。ところが、国によってはそうでもないらしい。
旅番組でシチリア島が紹介されていた。シチリア島は歴史の中で、ひどい目に合うことが多かったらしい。その為、悪いことが起きても、明るく楽観的に捉える国民性だというのだ。インタビューを受けた初老の男性が、「人を笑わせることが大切なんだ。生真面目な男なんてつまらないだろう?」と答えていた。確かに、外国には陽気な国民性の国も多い。それに比べて、日本人は総じて「生真面目」である。日本人は、少し酔ったくらいが丁度いい、という陽気な国の人が言ったのを思い出す。ある陽気な国のアフリカ人は、にこりともせず往来を行き来する日本人、日本という国になじめず、ストレスを抱え帰国してしまったという話も聞いた。
大きな枠で国民性といっても単純ではない。日本人にも、底抜けに明るい人もいれば、底抜けに暗い人もいる。国民性とは、最大公約数的な意味合いだろう。個人にはそれぞれの個性が、国民性とは別に備わっている。
社会が国際化するにつれ、国民性は薄まっていきつつあるように感じる。また、日本人の国民性が、歴史の中で一貫したものであったとは思えない。と考えれば、日本人の国民性が今後変わっていく可能性もある。もしかして、日本人の国民性がカリブ海の国々の人みたいに、陽気になる日が来るかも。個人的にはそうなったら楽しいかなと思う。