身近な人に限らず、有名人がなくなっても、いや全くの他人が亡くなっても、その方の人生に思いを馳せてしまう。どのような人生だったのだろうか、やり残したことはどれほどあったのだろうか、などなど。
いつか必ず訪れる死という現実。若いときは、死を考えることは少ないとされるが、自分は13歳頃から、心底、死を意識し、無性に死が怖かった。江戸時代の博多の高僧、仙厓和尚の臨終の言葉「死にとうない、死にとうない」はあまりに有名である。その解釈は個々人にお任せするが、最後までお坊さんとしてのお勤めを果たされたものと自分は思っている。単純に最後までユーモアを発揮されただけかもしれないが。
死んだあと、今、思考している自分というものはどこに行ってしまうのか? 夜、そのようなことを考えると、血の気がサーッと引いていくのがわかる。これが、ニーチェのいう虚無というものか?
生まれる前のことを記憶していないのだから、その状態に戻るだけと考えれば、少しは気が休まる。
なぜこのような話を書いたかというと、関本剛さんというホスピス医が自らもがんに襲われ、今年4月に亡くなられたという記事を最近目にしたからである。45歳の若さだった。そして明日は、先輩のお葬式である。